05.01.08:41 心理的恐怖と肉体的恐怖は同じであるが故に悟りが存在する。 |
私の心に 『人に偉い人だと思われたい! 自分を優れていると思いたい!』
という虚栄心という名の、エゴ・我・欲望が存在する。
虚栄心は、『人に偉い人だと思われたい!自分をすぐれていると思いたい!』 という欲望を満足
させる為に価値を持つ。
生まれた場所、その人口、偉人、有名人と同じ誕生日、星座、血液型、背の高さとその数字、
まぶたが一重か二重か三重か八重か、海外メーカーの四輪車、通っていた学校、通っているビル。
高い変幸(偏差値)のバカ田大学を出た私は、その学校に価値を持ち、自らの虚栄心、
『人に偉い人だと思われたい!自分を優れていると思いたい!』という欲望を満足させている事に
満足している。
新入社員が後輩として入ってきたが、彼の学校は、私より高い変幸のアホ田大学であった。
この部署には私より上の大学出身者はいなかったので、私の心の中の虚栄心は負けたと思った。
その後輩が 「先輩ってバカ田ですか?」 と聞いてきた。彼はバカ田に入りたかったが、父親に
「アホ田受かったんだから、アホ田行け!そうじゃないと、金は出さん!」 と言われ、しかたなく
アホ田に入ったのだが 『 あの先輩、バカ田なんだ!!』 と憧れをもって言った一言 を
負けたと思っている私の心の中の虚栄心は、 『馬鹿にされた!』 と認識し、
その後輩に対し怒りを覚えた。
翌年配置転換された部署は、自分より変幸の高い人ばかりであった為、新たに新入社員として入ってきた
後輩に対しても、『 自分より高い変幸の出身校だったらどうしよう ・・・・・ 』
という恐怖が私の心に発生する。
そんな中、文学新人賞に応募した小説が受賞し、自分より高い変幸の人たちに囲まれ、『 “ ばか大出身
だから馬鹿な奴だ!” と皆に思われているんじゃないか ・・・・・ 』 という、自らの心が造った、
虚栄的恐怖環境から退社することにした。
その後、作家になった私は、< ばか大出身という自分の持っていた価値 > に気づき、
『 出身大学なんてどうでもいいや ・・・・・ 』 と、思えるようになった。
ちなみに、担当編集者は <あほ大出身> だが、それを聞いた時 「へぇ~!頭いいんだね!」と、
素直に褒めていた。
そして、心の中では 『 俺は作家だ! あほ大出身の君! 文学賞が取れるか!?』 と、
虚栄心は、作家という職業と文学賞というものに虚栄的価値を持つ。
編集者の「 先生の作品は、女性に人気がありますよ~!」 と、
虚栄的価値を満足させる言葉に虚栄心が呟く ・・・・・・・
『 こいつは良い奴だ!何かご馳走してやろう!』 ・・・・・ ・・・ ・・ ・
新聞で、他人の本の発行部数を目にした時、自分の方が少なかったので、
『 このまま、自分の本の売り上げが伸びなかったらどうしよう ・・・・・ 』 という恐怖が発生する。
それは会社勤めをしていた時の 『 今度の後輩も自分より上の変幸の出身大学だったらどうしよう ・・・・ 』
という恐怖と同じ ・・・ だと気付いた!!!
虚栄心は、『 人から偉いと思われたい !自分を優れていると思いたい !』 という欲望を満たす為、
価値を作る。 その価値を満足させられない状況想定が、『恐怖という感情だ!』 と、気づいた。
私は今、虚栄心が持っている価値、発行部数という価値を捨て去り、<作家という仕事は何が大事だ?>
と、自問した。 答えは <理不尽な悲しみを減らす事だ!> <不実な悲しみをなくす事だ!>に至った。
< 何冊売れるか?> ではなく、< 何を書くか?> で、作家の価値が決まる事に気づいた!!!
この気づきは良心の気づきであり、仮に他人の、世の中に良い影響を与える本が売れたしても、良心は
負けたとは思わない。 『 素晴らしい本だ!こんな本がたくさん売れれば、世の中がもっと良くなる!』
『 不条理な悲しみが、またひとつ減る!たくさん売れてほしいなぁ・・・・・・・・』 と、素直に思うだろう。
恐れては駄目だ。怒ってはいけないという押さえつける思いは、
心の中のおしくらまんじゅうであり、力のロスである。
虚栄心が持っている価値に気づき、それを捨て去る作業をすることで、
虚栄的恐怖、虚栄的怒りは無くなっていく。 恐怖の動物実験は必要ない。
映画にもなったドイツの児童文学に、 <ここまでは誰でもこれる!> というような台詞があり、
少年が鏡の前に立つシーンがある。
これは、内面心理の気づきを意味する。私たちが、内面心理の虚栄心をまともに見、
気づき、捨て去る事で、虚栄的価値を無くし、虚栄心を消滅させる事が出来る。
このような心の中の作業は、自らを高めていく作業であり、悟りへ到る人類共通の道である。
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